泉田エミイの9曲

泉田エミイの音源は2023年10月時点で9曲が発見されています。ただし情報が非常に少なく、まとまったサイトもありません。9曲はいずれもCD化されておらず収集は極めて困難と言わざるを得ません。筆者は10年ほどかけて何とか収集できたのでその過程も含め残しておくことにしました。結論のみ知りたい場合は”まとめ”に飛ぶことをお勧めします。

泉田エミイの名前を知ったのはたぶん10年位前、ソフトロック・ドライヴィンシリーズの「スノー・ドルフィン・サンバ」というコンピレーションCDのライナーでした。そもそもはこのアルバムに入っていた「白い波」という曲などが気に入り、ジャズサックス奏者渡辺貞夫がボサノヴァ歌謡として歌詞のついた曲を提供していたことに興味を持ったのがきっかけです。ライナーの解説から他の歌手の歌ったバージョンを入手順に聴いていきましたが、「ストリート・サンバ」という曲の解説には下記が書かれていました。こんな書かれ方をされては是が非でも聴きたくなってしまいますね。

また、本作は後に日本コロンビア傘下となるTACTレーベル(タクト電気株式会社)のポピュラー第一弾として発表された泉田エミイのデビュー・シングル「ストリート・サンバ/キューピッヅ・ソング(TS-301)」がオリジナルである。泉田エミイはリオデジャネイロ生まれの日系二世で母親の病気の治療のために日本へ帰国中に渡辺貞夫にスカウトされタクトからデビュー。日本語はもとよりポルトガル語、スペイン語、英語にも通じる彼女のロリータチックな名唱は、「来日記念にちょっと吹き込んでみました」的な粗野な作りのアストラッド・ジルベルト版を凌駕する圧倒的な魅力に溢れている。今回当シリーズの日本コロンビア編にその泉田によるオリジナル版も収録しようと試みたが原盤の権利関係がクリアできず残念ながら本CD収録は見送られた。

POCH-1589 「ソフトロック・ドライヴィン*スノー・ドルフィン・サンバ」ライナーノートより抜粋

シングル盤「ストリート・サンバ/キューピッヅ・ソング」の音源はなかなか入手できず、かつ情報も上記のみで、何枚のレコードをリリースしてるのか、現在も活動してるのかも不明でした。ある日ネット検索をしていると「泉田エミイの六曲」というタイトルのブログを発見しました。ただ発見当時はリンク先は既に存在せず、保存されたキャッシュから文章の冒頭一部が残されているのみでそこにはこう書かれていました。

泉田エミイ
1-A Mas Que Nada 1-B Ague De Beber
2-A Garota De Ipanema 2-B So Danco Samba
3-A Cupid’s Song 3-B Reza
朝日ソノラマ K-19 1967年
渡辺貞夫クインテット+泉田エミイ
fl.as 渡辺貞夫 p 菊地雅章 g 中牟礼貞則 d 富樫雅彦 b 原田政長 
vcl.cavasa 泉田エミイ vib – unkown

pei’s-discs the devil’s music ・・・ it is the spirit of the music. より抜粋

(当時はサイトのお引越しをされていたようですが現在は復活されて閲覧が可能です。後から判ったのですがこのブログは大阪阿倍野にあるガロート珈琲 (GAROTO COFFEE)の店主さんが書いたものでした。SP盤のジャズやブルーズが聴けるお店でマニアには人気のお店らしいですね。機会があれば訪れてみたいお店です。地下鉄御堂筋線昭和町駅下車4番出口より徒歩5分 大阪府大阪市阿倍野区阪南町2-21-26 とのこと)

朝日ソノラマ K-19 にどうやら他にも泉田エミイの曲が入っているらしい。朝日ソノラマだから多分シングル盤サイズのジャケットに入ったソノシートかなと思いました。他の情報は当時はネットで検索しても富樫雅彦の参加した詳細なディスコグラフィに “sadao watanabe & bossanova” とメーカー、型番の記載があったのみでしたが、タイトルがこれで判明しました。

結局入手までに5年以上はかかったと思います。表紙と奥付には英語のタイトルしかありませんでしたが、背表紙には英語に続けて「渡辺貞夫とボサ・ノヴァ」という記載があり、B4サイズほどの冊子本(レコード店よりは古書店で探すほうが良いかもしれません。)で中にソノシートが3枚ついているものであることが入手してから判りました。付属の3枚のソノシートはシングル盤サイズで片面1曲、両面3枚で全6曲、泉田エミイが歌っているのはその内の下記4曲でした。

1-B 「おいしい水 (Ague De Beber)」
2-A 「イパネマの娘 (Garota De Ipanema)」
3-A 「キューピッヅ・ソング (Cupid’s Song)」
3-B 「祈り (Reza)」


なお、それより先にTACTのシングルは1年後くらいにはsample盤を入手できていました。

ここでシングル盤と「sadao watanabe & bossanova」に記載された泉田エミイの記載部分を抜粋してみましょう。

泉田エミイ(16才)リオデジャネイロ生れのブラジル国籍を持つ二世。父がバイオリン、母はピアノをひき、ペルーの国立劇場でオペラの演出を手がけたりもする音楽一家に育ち、四才からピアノを習い、母の病気の治療のため日本に帰国中、渡辺貞夫にスカウトされた。日本語はもとより、ポルトガル、スペイン、英語に堪能。ましてサンバのリズムを生まれながらに身につけ、国際的ボサ・ノバ歌手になるのも遠いことではないでしょう。

「ストリート・サンバ/キューピッヅ・ソング」TS-301 ジャケット裏面より

 最後に泉田エミイを紹介しましょう。
 ブラジル生まれの16才の女の子です。
 ぼくは日本へ帰ってきて、ボサ・ノヴァを演奏しはじめてから、ずっと歌手をさがしていました。いろいろとオーディションもやったのですが、ついにボサ・ノヴァが唄える人は現れませんでした。
 ところがある日、突然泉田エミイがぼくのところへ来たのです。さっそくテストしたところ、実にいいフィーリングをもっているのです。
 日本人ばなれしたボサ・ノヴァのフィーリングを彼女はもっているのです。
 歌手としては、もちろんまだ無名の新人ですが、実にまれな才能をもっている貴重な存在です。彼女の今後の成長をぼくは大いに楽しみにしているのです。

「sadao watanabe & bossanova」K.K.朝日ソノラマ 昭和42年10月12日発行の11ページより

それぞれの解説文をご覧いただければ分かりますがソフトロック・ドライヴィンの解説はシングル盤のライナーを要約したもののようです。CD化を試みた時点でも情報はシングル盤しかなかったのでしょう。貞夫さんの紹介文もあまり彼女自身の経歴には触れていませんでした。自分にとって泉田エミイの情報で追加されたのは、両親が音楽関係の音楽一家、渡辺貞夫がずっとオーディションを続けても合格者が出ず、突然彼女を知ったということぐらいでした。ご両親が音楽関係ということで誰かから貞夫さんに紹介があったとも考えられるかもしれませんね。(実際はどこかのお店で歌っていたところを貞夫さんがスカウトしたらしいです。X旧twitterの投稿より)他にはシングル2曲ではポルトガル語部分の作詞もしておりクレジットされています。著作権がクリアできないのは作者のうち1名が消息不明ということもあるのかもしれません。

次に活動期間を6曲から推定してみます。「sadao watanabe & bossanova」は1967年10月12日発行ですから3ヵ月で本ができたと仮定すると録音は7月頃?、「ストリート・サンバ」の発売日は1968年としか検索では出てきませんが、レコード番号TS-302がジャックスの「からっぽの世界」、TS-303が「マリアンヌ」でそれぞれ1968年3月25日と1968年5月20日の発売との情報から、302より若い番号のTS-301は1月の可能性が高く、前月の12月に渡辺貞夫は新メンバーでグループを一新していますので、録音は1967年の11月辺りの可能性が高いと思われます。

それからも定期的に彼女の新情報はないものかと思い出すたびに検索をかけていたのですが、いつのまにか「泉田エミイの六曲」のブログが復活していました。ここで少しだけ情報を更新できたのは本文の下にあるコメント欄でした。それはエミイさんの同級生とお姉さまのコメント。ここで分かったことは高校1年でシングル盤が録音されリリース、同級生に井上陽水の奥様の石川セリさんがいたこと、2012年11月の時点でずっと海外で生活されているということ。(コメントのメアドが生きていればお姉さま経由でご本人の消息やコンタクトが取れそうなのに既に10年以上経過してしまったのが残念でなりません。うまくいけば著作権もなんとかなったかもなのに……?)1952年12月27日生まれのセリさんと同級ということは1952年4月~53年3月までに生まれていて、このブログを書いている時点でご存命なら70歳~71歳、玉川学園高校に在籍していたことになります。お母様の治療後は両親と帰国されたのでしょうか。


その後、YouTubeで泉田エミイ「イパネマの娘」なる音源を発見しました。現時点では既にアカウントが削除されていますが音源のソースは全く記されておらず、「sadao watanabe & bossanova」に収録されたものとも全く異なる音源でした。最初「泉田エミイ イパネマの娘」で検索しても出てきませんでしたが、「泉田 イパネマ」で検索したところ「ロマンツアー音楽世界めぐり 14 南米」に泉田恵美(エミイではない)が歌う「イパネマの娘」が収録されていることが分かりました。これは千趣会が作成したレコード付きの書籍の14巻(こちらもレコード店より古書店を探す方が良いと思います。)で南米各国の都市、名所、文化、音楽などを紹介したものです。

驚いたことにこれは私の父が所有しており当時よく聴いていました。自分も小学生の頃に知らずに聴かされていたもの(以前このブログでも「ブラジルという曲」で紹介済みのレコード)です。そもそも「イパネマの娘」という曲を好きになったのがこのレコードで、コード付き(もちろん簡単なコードに直してあったものですが)の楽譜が付いていたので中学のころはギターでマネをしたりもしたものでした。早速実家から持ち帰り聴いてみるとビンゴでYouTubeの音源と一緒でした。まさか子供のころから知らずに泉田さんの歌声を聴いていたなんて!

泉田恵美はレコードの全6曲中1曲で歌っています。発行日は昭和43年11月1日となっていますので録音は1968年8月辺りでしょうか。バックの演奏も渡辺貞夫のバンドではないと思われます。サックスがテナーの音(ムードテナーの宮沢昭っぽい?)に聞こえますし、そもそも貞夫さんは1968年5月後半から8月末頃迄海外に行っています。現物には編曲・指揮/山本直純、演奏/ロマンツアー・ポップスオーケストラ、泉田恵美/歌としか記載がなく詳細は不明です。

(補足:貞夫さんは1962年バークレー渡米前から山本直純さんとスタジオで仕事をしていたそうで交流があります。直純さんがブラジルの音楽を担当するにあたりボサノヴァに詳しい貞夫さんに選曲、歌手、演奏者の相談があった可能性も否定できません。(宮沢昭さんも貞夫さんと交流あったようですし。)演奏が宮沢昭 (ts)だと仮定すると他メンバー候補はセッション交流関係から、(確証はありませんが)佐藤允彦 (p)、前田憲男 (p)、原田政長 (b)、荒川康男 (b)、富樫雅彦 (ds)、渡辺文男 (ds)、中牟礼貞則 (g) 辺りでしょうかね?)

ここでの泉田恵美の歌声は泉田エミイをもっと大人っぽくした感じなのですが、声質もよく似ていてポルトガル語で全て歌っていることからもやはり同一人物でしょう。シングルデビュー後の高2の時の録音で7曲目の発掘ということになりますね。なおこちらが日本名の名前なのかと思います。


さらに月日が経ち、渡辺貞夫のボサノヴァというカセットテープで泉田エミイが歌っている情報を発見(下の写真)。これは聴いて確認してみないと。ということでアテンションをかけて出物が出てくるまでしばらく待ち状態が続きました。

レコードの場合はかなり情報が存在しますがカセットテープ類は発売年月日とか録音情報がなかなか無いんですね。しかも複数のLPで出ている音源から集めたものかもしれないし現物がないと埒があきません。

(補足:当時はオープンリール、4トラックカートリッジ、8トラックカートリッジ、コンパクトカセットそれぞれで企画/制作/販売会社が乱立していて、LPレコード音源がそのままテープ化されるわけではなかったようです。LPと曲目が違ったりするので音源の出所がLP録音時のセッションなのかどうか別なのかは聴く以外判りません。先日も別カセットで収録曲の半分はLPと同じ音源、半分はLPでは未発表の聞いたこともない謎音源だったことがありました。渡辺貞夫さんは当時タクトの専属契約だったはずですがレコード以外は別だったのかもしれません。そう考えるとさらに別の音源の泉田エミイの歌唱がオープンリール、4トラック等から発見される可能性がないとは言い切れません。)

また月日は経って、上の写真とは違いますが、同じカセット番号(APY 108)で曲が同じ下の写真のものを購入することができました。上の写真のものより100円高いので金額改定の際に装丁が変更されたのだと思われます。(演奏)渡辺貞夫カルテット(歌)泉田エミ(エミイではない)となっていて全8曲中2曲で歌っています。録音時期や発売日は全く記載が無く、カルテットのメンバーも書かれていませんが、全体の音から「sadao watanabe & bossanova」と同様のメンバーで同時期の録音だと思われます。曲によってはギター、カバサも入るのでカルテットだけではありません。メンバーはたぶん、渡辺貞夫(as,fl)、菊地雅章 (p)、原田政長 (b)、富樫雅彦 (ds)、中牟礼貞則 (g)、宮田英夫 (perc)といったところでしょう。泉田エミは下記2曲で聴くことができます。

Side1-4. オ・パート(O’ Pate)
Side2-3. コルコバード(Corcovado)



2023年10月時点では現存する音源は9曲、それぞれ泉田エミイ、泉田エミ、泉田恵美と記載されていますが録音時期1967-68頃というのが共通しています。並べて聴いてみるとやはり同一人物ではないかと考えています。

《Japanese Bossa Nova》Emy Izumida’s 9 songs(泉田エミイの9曲)1967-68


Sadao Watanabe & Bossa Nova (1967) and more


追加情報(2023/11/07):
このBlogを書き上げてから少しづつ修正を加えたりしているのですが、X旧teitterでお話しさせていただいたボッサクバーナさんの投稿の返信に当時のことを回想されているエル・スール・レコーズさんの語る新たな情報が2件ありました。()少し纏めると、

・六本木のクラブ(?)でたまたま歌っているところを渡辺貞夫がスカウト
・当時は宮益坂ビルにお姉さまと同居
・日系サンパウロ帰国子女
・歌手を志望していなかった
・数年日本で生活
・日本の生活は合わずレコーディング後帰国

といったところです。リオデジャネイロ生まれのサンパウロ育ちだったのですね。旧宮益坂ビルはかつて渋谷駅近くの宮益坂に存在した11階建ての日本最古の高層分譲マンションであり、玉川学園高校に在学していたことも併せて非常に裕福な家庭で育ったかたと見受けられます。六本木でスカウトってなんだかエミイさんの2歳年下の荒井由実(松任谷由実)さんがデビュー前から六本木のとなり飯倉にある キャンティに出入りしていたことを思い出しました。荒井由実さんも老舗呉服店の裕福なお嬢様でした。

1967~68年頃の若者達ってどんな時代をどう過ごしていたのかが興味をそそります。自分はまだ子供だったのですが当時は確かベトナム戦争、学園紛争とか東大安田講堂事件とか安保反対の学生運動が盛んな時代なのでは?と思って少し調べてみました。

実際には1969年が最も盛んだった様子なのでその前夜で次第に盛んになっていく頃なのでしょうか。wikiには「国公立大学や私立大学の大半が、何らかの闘争状態・紛争状態となった。こうした学生運動は、一部の浪人生や高校生などにも波及した。」とありました。私の高校は都立だったのですがやはり1969年頃に闘争があったようで生徒会が何年も廃止されて、自分が入学時にやっと再開なんて経験もしてるので当時の高校生にも思想的に大きな影響があったことでしょう。

その一方でブラジルはどうだったのかをちょっとだけ調べてみると1967年に軍事政権の連邦共和国が成立すると反対派によって都市部で治安が混乱したようですが、1969年には都市部の治安は回復し経済が高度成長を遂げているようです。

当時の若者はどう行動してたのかを知るうえで玉川学園高等部で同級生だったという石川セリさんはどうだったかというと、高校在学中にコーラス・グループ「シング・アウト」に在籍とのこと。以前NHKの番組「ステージ101」の事を調べていて知ったのですが、このグループ結成にはMRAという団体が係わっています。この団体の全貌を理解するのは難しいのですが1921年!にアメリカでキリスト教の牧師が始めた国際的な道徳と精神を標榜する運動(難しい!)で、日本では戦後から文化交流を名目として反共運動を展開していたらしく、歴代の首相、国会議員、経済界著名人も参加し後押しをしています。啓蒙の為に若者中心の演劇や音楽の活動もやっていました。長くなるので詳細はwiki活動ページを参照してみてください。

ここまでで驚いたのは僕らの世代が高校生の頃は、生徒同士で社会や政治的な事、思想等に関する会話は皆無だったと思うのですが、当時の高校生は政治や社会の事をいろいろ考えて行動する人が多かったのかもしれませんね。(実際はどうだったのでしょうか?)

いずれにしても1969年はちょうどエミイさんが高3ですから進学等いろいろ考える時期、日本の環境に馴染めず帰国というのもなんとなく理解できます。(私の従兄がこの時期大学生だったのですが学生運動の影響で授業が殆どなかったそうです。学生運動に消極的な人には生きにくい時代だったかも???カレッジ・フォーク世代で晩年までギター弾くのが趣味だったし...。)

ここからはまとめです。

★泉田エミイの歌った曲で確認されているのは下記の9曲

01. Street Samba(ストリート・サンバ)泉田エミイ *1
02. Cupid’s Song(キューピッヅ・ソング)泉田エミイ *1
03. Aqua Di Beber(おいしい水)泉田エミイ *2
04. Garota De Ipanema(イパネマの娘)泉田エミイ *2
05. Cupid’s song(キューピッヅ・ソング)泉田エミイ *2
06. Reza(祈り)泉田エミイ *2
07. O’ Pate(オ・パート)泉田エミ *3
08. Corcovad(コルコバード)泉田エミ *3
09. The Girl From Ipanema(イパネマの娘)泉田恵美 *4

*1(シングル盤レコード:TAKT TS-301 ストリート・サンバ/キュービッヅ・ソング)
*2(ソノシート付き書籍:株式会社 朝日ソノラマ K-19 Sadao Watanabe & Bossa Nova)
*3(カセットテープ:Apollon APY 108 ボサノヴァ 渡辺貞夫)
*4(レコード付き書籍:株式会社 千趣会 ロマンツアー音楽世界めぐり 第14巻 南米)

★泉田エミイのプロフィール

●名前:泉田エミイ、泉田エミ、泉田恵美の3パターンが確認されている

●生誕:1952年<昭和27年>4月~1953年<昭和28年>3月のどこか

●出身地:ブラジル連邦共和国、リオデジャネイロ州、リオデジャネイロ市
 (リオデジャネイロ生まれのサンパウロ育ち、訪日時はサンパウロから)

●国籍:ブラジル連邦共和国(日系二世)

●家族:父はバイオリン、母はピアノを弾き、ペルー国立劇場でオペラの演出を手がけた。姉が居ることが確認されている

●音楽一家に育ち4歳からピアノを始める

●日本語の他、ポルトガル語、スペイン語、英語に堪能、(デビュー曲「ストリート・サンバ/キュービッヅ・ソング」では作詞家と共に本人名の記載があり、ポルトガル語歌詞を担当したと思われる)

●母の病気治療のため家族で来日(1967年?)

●1967年<昭和42年>、東京都の玉川学園高等学校1年に在籍

●同年、渡辺貞夫にスカウトされ、デビューレコードの2曲の他、6曲?の渡辺貞夫との録音が確認されている

●高校1年(16歳)の1967年<昭和42年>10月12日、朝日ソノラマから渡辺貞夫名義でソノシート付き書籍「Sadao Watanabe & Bossa Nova(渡辺貞夫とボサ・ノヴァ)」が発売される(演奏:渡辺貞夫クインテット、うた:泉田エミイと記載された曲が4曲含まれている、録音は1967年夏頃?)

●高校1年(16歳)の<1968年、昭和43年>1月頃、タクト電気からデビューシングル「ストリート・サンバ/キュービッヅ・ソング」泉田エミイ 渡辺貞夫セクステットが発売される(録音は1967年11月頃?)

●高校2年(17歳)の<1968年、昭和43年>11月1日、千趣会からレコード付き書籍「ロマンツアー音楽世界めぐり 14巻 南米」が発売される(泉田恵美/歌と記載された曲が1曲含まれている、録音時期は1968年8月頃?)

●発売日不明(音楽カセットテープの普及は1969年の為それ以降と思われる)、アポロン音楽工業から渡辺貞夫名義でカセットテープ「渡辺貞夫 ボサノヴァ」が発売される(演奏:渡辺貞夫セクステット、歌:泉田エミと記載があり8曲中2曲で歌っている、録音はメンバー構成、曲レパートリー、音の雰囲気より「Sadao Watanabe & Bossa Nova」と同時期1967年夏?と思われる、オープンリールや8トラックカセット等からの流用音源の可能性は否定できないが2023年10月時点では確認されていない)

●「ロマンツアー音楽世界めぐり 14巻 南米」1968年<昭和43年>11月1日発売以降、web検索では泉田エミイの音楽活動は全く確認できず、時期は不明だがブラジルに帰国した、ブラジルや他の国外での活動も確認できず

●活動期間:1967年-1968年(実質1年ぐらい?)

●2012年<平成24年>11月23日(60歳)、お姉さまからの「エミイはずっと海外で元気に生活しております」のコメントがブログに投稿される

2023年10月時点で分かっていることをまとめてみました。現時点で泉田エミイさんがご存命ならば71歳ぐらい、渡辺貞夫さんは90歳、再発するなら話題性としてはそろそろ最後のチャンスかもしれません。

私の知る限りエミイさんのシングルをオムニバスCDに収めようとして原盤の権利関係で見送られたのは冒頭の「スノー・ドルフィン・サンバ」(1996年ポリドール)、「Good Night Tokyo」(2000年日本コロンビア)の2回、既に20年以上経過していますが権利関係の何が問題なのでしょうね?(制作会社が既に存在しなくなって継承者が不明?、タクトは日本コロンビアが吸収して原盤権持ってるんじゃないのかいな?、それとも作詞と歌のエミイさんの消息に関係あるのかな?)

エミイさんのシングルはいまだに1万円近くで取引きされているようですし、ほんとCDかサブスク等での再発、できればリマスターで他の現存する音源全てボーナスでまとめて再発してほしいです。お二人に再会いただいて詳細な録音時のこととかインタビューしてライナーにしたらなお良いのにな。小西さん、濱田さん、土龍団の方たち再トライしていただけないだろうか……。



泉田エミイの9曲への2件のコメント

  1. アバター pei's-discs
    pei's-discs コメント投稿者

    お世話になっております。
    続編の「泉田エミイさんの事」をアップしましたので覗いてみてください。
    ありがとうございます。

  2. pei’s-discs様
    すごいです。
    続編のご紹介どうもありがとうございます。