キエフ・バレエ・ガラ 2022

7月18日(月祝:海の日)の公演に行ってきた。そもそもバレエに詳しいわけではないので何が書けるのか自分でもわからない。じゃあ何で行ったの?ってとこから始めてみるかな。

いくつかの事が自分の中で重なったのが今回チケットを買った理由なのだけど、頑張っているある夢織人の若者との会話がトリガになっている。

僕の嫁は若くして亡くなっていて、以来自分では特に意識はしてなかったけど心のどこかで思い出すのを封印していたのだと思う。ふと頭をよぎるのは闘病中の辛かったことばかり、楽しかった想い出も沢山あったはずなのにね。その若者との会話で自分が同じくらいの歳だった頃のことをいろいろ思い出すことができるようになった。(息子の結婚が決まり、生まれたての息子と生前の嫁が映っているビデオを編集して渡す予定だった1年半前には心臓が苦しくなってどうしても編集できなかったのにもかかわらずである。)

嫁は子供のころからバレエを習っていて、つきあい始めた時には社会人バレエ教室で再度習い始めたころだったと思う。そんなこんなで結婚後はキエフ(ウクライナ)もボリショイ(ロシア)も嫁と何度か観に行っている。

そして30年以上経った今年の5月、ブログの移行に伴い2009年の記事のリンク修正作業をしていると、光藍社のHPで戦時下にもかかわらずキエフバレエの来日公演が予定されているのを発見することになるわけだ。その時の事は作業をしていた記事(チャイコフスキー「くるみ割り人形」)の最後に追記をしている。記事を書いた2009年も少しだけ嫁の事と来日を書いてたけど観に行くことはなかった。今回は公演の主旨やアーティスト達の避難後の状況にはとても共感するものの行くのはまだ躊躇していたのだが...。

数日後たまたまtwitterで”Chacott”のキーワードを見つけ、結婚前の嫁に渋谷のチャコットに付き合わされたことを思い出す。確かバレエシューズだかレオタードだか小物だったかの買い物だったはずなのだが、それよりもお客さんが女の子ばかりでえらく恥ずかしくて縮こまっていたのを覚えている。

そんなことが続けて起きると、なんだか嫁に「観に行こうよ~、ねえ~!」って言われてるような気がして(妄想なんだけどね)思わずネットでチケット購入した次第。

そもそもなんか恥ずかしい個人的な想い出を文字にすることができるようになってることが自分でも驚いてるんだけど、天国の嫁と一緒にバレエに行った話?この冒頭必要なの!?

前置きがと~っても長くなってしまったたけどやっと当日に進みますね。エントランスで入場者は3列に整列させられて検温と手のアルコール洗浄でしっかりコロナ対策を実施。チラシや今日の演目の記載されたメモ、ホールなのに何故か簡易団扇の入ったビニール袋が配布されました。その足でまずは物販コーナーで公演プログラムと義援金寄付の付いたハンカチを購入。

公演プログラム
寄付金付きハンカチ
会場の写真、でかいホール!!

とりあえず着席。購入が遅かったので3階席最前列だ。いやぁこんなでかいホール、コロナもあったし久しぶりだ。いったい何席あるのだろう。(後で調べたら2011年4月開館、最大収容人数2,021人だそうです。)全体が見下ろせるのはいいんだけどオペラグラスを忘れてきたのは大失敗でした。写真だと席がまばらですが開演時には満席になりました。バレエを習っている(と思われる)女の子を連れた母親、家族連れ、女性ファンが多いように思います。

開演まで演目リストやプログラムを見て時間をつぶしました。第1部40分、休憩20分、第2部55分の予定です(演目写真参照)。有名な曲しか知らないのでサン・サーンスの「動物の謝肉祭」に入っている「瀕死の白鳥」ぐらいしか判りません。事前に予定されていなかった葉加瀬太郎の「ひまわり」が入っているのには驚きました。

当日の演目
簡易団扇(表)
簡易団扇(裏)

それから配布された団扇の写真も載せますが、コロナ禍で大声の会話が禁止なので「ブラボー!」と叫ぶ代わりに団扇を振るのだそうです。後から知りました。そしてひまわりのデザインが何故かは終演時にわかることになります。

ここから先は開演後の感想などを書いていきますがそもそも詳しくないので...(汗)

幕が上がるとステージの奥はひまわり畑の映像でした。もうそれだけで泣きそうでした。そしてウクライナの民族衣装を着たダンサー達がたくさん出てきてウクライナ伝統の音楽をバックに踊ります。祖国を思わせる曲と踊りを冒頭に持ってくる、しかも背景がひまわりの演出、ダンサー達の心境を思いマジ涙が出てきました。彼らは元々120人団員が居るらしいのですが殆どのかたが散り散りバラバラになり、今回そのうちの30人がなんとか避難国から集まって、開戦後に一緒に舞台に出るのはこのツアーが初めてのことなのだそうです。

演目のひとつひとつに感想を述べるほどの知識はないですし、ガラということで抜粋のいいとこ採りステージで元のストーリーも知らないのですが、まとめると、とにかく女性陣が登場すると優雅で綺麗だしターンも早くて回る回数もスゴッ、男性陣の登場ではスピードと跳躍、回転がフィギュアスケートを観ている感覚にも似ていました。きっと凄い技がたくさんあってダンサーの皆さんはずっと挑戦し続けているのでしょうね。その一方でバレエは演劇的な要素も持っているのでもう少し近くで立ち振る舞いや表情が見れると良かったと思っています。今回は遠すぎたので誰だか顔もわからない感じなのが残念でした。あと昔観たときには生オケが舞台前で演奏していたのですが今回は録音でした。録音と生オケでは音の広がり方がやはり違うと思います。もし次回観る機会があれば生オケとの共演をまた体験したいものです。

休憩を挟んで2部の冒頭は葉加瀬太郎の「ひまわり」という曲に振付をした特別な演目でした。ここでは日本人ダンサーとウクライナダンサーが共演し国や人種は違っても世界は一つという事をキエフバレエ団副芸術監督の寺田宜弘氏が演出されています。なかなか思いの詰まった感動的な作品でエンディングは複数のダンサーのペアが手を取り合って舞台の袖に去っていきました。今回ブログを書くにあたって知らないことを少しネットで調べたのですが、キーウ(キエフ)市と京都市が姉妹都市であること、京都にある寺田氏のご両親の創設した寺田バレエ・アートスクールが半世紀近く前からキーウとの交流を進め、キーウ国立バレエ工学校と姉妹校になっていること、宜弘氏は交換留学で11歳から工学校で技術を学びそのままキーウに40年近く住んでいることなどいろいろ知識を深めることができました。

舞台のことをもう少しだけ書いておくと今回の演目で最も印象に残ったのは芸術監督であるエレーナ・フィリピエアのソロ「瀕死の白鳥」でした。舞台照明を消し、スポットライトのみで演技を浮かび上がらせる演出だったのですが、遠目から見ても両腕で表現している白鳥の羽が凄かった。どうしたらあんな腕の動きができるのだろう?自分の眼がどうかなってしまったのかと思いましたよ。さすがです。この方開戦時には40日キーウに居ていろいろ壮絶な体験をされたらしいですね。今回の来日メンバーは皆さん本国の状況を憂いつつ色んな思いをもって演技をしてることと思います。

それは昨日競技からの引退を発表したフィギュアの羽生結弦選手の震災後と今回のダンサーたちの思いが重なるような気がしています。彼は練習を継続するため被災地を離れますがドキュメンタリーでは自分だけ好きなスケートをやってて良いのだろうかと悩んでいました。それでも自分が一生懸命スケートに邁進することが被災者の皆さんに少しでも勇気を与えることになり「力になったよ」「前を向けるよ」という言葉を聞いてここまでやってきたというようなこと。ダンサー達もこの日本公演を通じウクライナがこの状況の時にバレエという芸術を届ける事、あきらめない事、ウクライナの芸術は死んでいないと世界にSNSで示す事で国を支援しています。来日を選ばなかった団員も含め皆さんそれぞれの決断をしてきたのですね。平和ボケの日本人としては頭が下がる思いです。

YouTubeにあるNHKニュースウォッチ9のショートドキュメンタリーには来日したアンナ・ムロムツェワや来日を選ばなかったオレクシーポチョムキンのそれぞれの思いがよくわかり必見です。

なんだか当日から外れてどんどん違う方向に行きそうなので今回帰宅してから見たサイトのリンクをいくつか紹介しておきます。インタビューやメッセージ他が載っています。

さて、公演後ちょっとだけサプライズが....それは例のひまわりの団扇です。ダンサーたちがぜひ会場の皆さんと記念写真を撮りたいとのことで全員でひまわりの団扇を掲げてほしいとのことです。光藍社のTwitterInsataにも載ったのが下の写真です。Instaの方には記念撮影の経緯も書かれていました。団扇のひまわりはこのためだったのか!

光藍社のtwitterより

この後時間をおいてステージ上でエレーナ・フィリビエア、ニキータ・スハルコフ、アンナ・ムロムツェワ、寺田弘宣のトークショーがありました。内容は司会者の女性が質問をいくつかしてそれぞれが答えるという形式のもの。半分以上の観客は帰ったので1階に移動、やっとダンサーの顔が見れました。

以上で当日の公演はおしまいです。なおツアーは8月9日まで続きますが、「キエフ・バレエ」の呼称は今回が最後で今後は「ウクライナ国立バレエ」と呼ばれるそうです。既に年末年始の来日も決まりウクライナ国立劇場オーケストラとの共演もあるみたいです。

今回帰宅後いろいろ調べた時にボリショイのほうも少し調べたのですがwikiには「ロシアによるウクライナ侵攻の影響」という項目が増えていました。そこにはプリンシパルの退団が続いていることも記載さています。ウクライナとロシアはバレエ界も元々交流があるし他にも親戚が両国にいるケースもあることでしょう。早く平和になってその時にはぜひ両国のダンサー合同のガラなんかも実現させてほしいものですね。一刻も早く戦争が終結して平和になることを願ってやみません。(冒頭でかなりはしゃいだので締めはマジメだよ。)