「スーパースター」の3回目。1ヶ月も間が空いたにはそれなりの訳があるのですが...
まずはこのカヴァーを聴いてみてほしいのです。
曲のアレンジからはカーペンターズでのヒット1971年以後から1975年4月より前の録音と思われます。なんということだ!これはもう少し歴史の勉強をしなければならない。そうしないと続きが書けそうにないですよ。
結論から言ってしまうとこの「スーパースター」はクメール語で歌われており、歌手の名前は「Ros Sereysothea/ロス・セレイソシア」という女性。彼女はポル・ポト政権以前のカンボジアの国民的歌手だったかたで既に故人です。
僕は60年代のベトナム戦争の頃はまだ子供でしたので戦争をしているということはニュース等で知っていても、その背景や詳細な内容は恥ずかしながらずっと知らないまま大人になってしまっています。洋楽を聴きはじめた70年代はまだベトナム戦争末期でジョン・レノンが平和を訴えたりしていた時代でした。
ベトナム戦争時は中立だった隣国のカンボジアの60年代はフランスの植民地時代だった文化や米兵の放送から聴こえるロックやポップスとクメール文化が融合し独自の音楽文化が形成されていたらしいです。日本でも欧米のポップスを日本語化したものやグループ・サウンズがヒットしていましたが、まさに同じ頃のことです。セレイソシアは1967年頃から同じく男性の国民的歌手「Sin Sisamouth/シン・シサモット」らとともに1975年4月のプノンペン陥落まで活躍していました。
1975年4月ベトナム戦争でサイゴンが陥落しベトナムに平和が訪れたのと反対に、この1975年4月以後のカンボジアはポル・ポト政権のクメール・ルージュによって首都プノンペンが占拠されます。プノンペンの資本家、技術者、知識人など知識階級の人達は一切の財産・身分を剥奪され、農村に強制移動させられます。そして多くのアーティストや文化人を含む知識階級の人達は反乱を起こす可能性があると虐殺されていったのです。セレイソシアやシサモットもこの流れの犠牲になったのでした。結局総人口の1/3の200万人が虐殺されたとのことです。
セレンソシアの曲はYouTubeに沢山UPされているのでその才能溢れる6-70年代初期の曲を幾つかご紹介することにしましょう。
・Chnom oun 16 (I’m only 16)
このギターのサイケ感がたまらないですね。
このギタリストもきっと...
・Yom Srolaunh Kyoum (Proud Marry in Khmer)
こんな曲もカヴァーしてました。
・Old Sour And Sweet
この曲もなんか変...だけど妙に頭に残るメロディです。
・The Golden Voice
彼女のことはショートフィルムで映画にもなっています..
悲しい結末..
・おまけ:Documentary Film:
Don’t Think I’ve Forgotten
(Cambodia’s Lost Rock and Roll)
60年代のカンボジアを再現